gunlog
ちょうど一年前に人に言われた事を自分に向けて反芻している。
私は、結局、そういう奴なんだ。ダメなんだ、ダメなんだよ。
慰められるより、刺されたいくらいだ。
実家のプチトマトは私の身の丈くらいの高さに成長しており、大地に直植えは強いなあと、娘は敗北感いっぱいになりました。
うちのベランダのは、20cmくらいっす。
うーん、やっぱりもっと大きい鉢に植え替えしないとダメなのね、というかマジで育ったらうちのベランダから溢れるのす。やはり野良トマト計画実行か?
乞うご期待!!!
久しぶりに昔の同僚、仲間と再会する。
嬉しくなって、悲しくなる。
たくさんの思い出の中にポツポツとあいた穴が見える。
それは自分の事しか考えられなかった私が、悶々としている間に空いた穴。
役に立つとか立たないとか、即物的な事で自分と他人を計っていたから、仕事を取っ払って一対一の人間になった時にどうしてよいかわからなくなるんだなって事も知った。
それでも見知った顔は変わらず、内面に重ねた何かを滲ませていて、皆が過ごして来た時間が決して無為なものではなかった事を教えてくれた。
私は、今更のように、皆の事を好きだったって事を知り、それをどうやって伝えてよいかわからなかったって事を知り、今もどうしてよいかわからないんだって、思う。
嬉しくなって、悲しくなって、また、嬉しくなる。
大好きだから、また来るね。また来る、ね。
いろいろと、ありがとう。
名古屋に来て1年と半年がたちました。
それなりに色々なことがあり、
思い込み四面楚歌状態で五里霧中で祭りだドンドコを過ぎて、
ひとりであることを受け入れようとする自分への、わずかな自覚と自信と、
周囲の人々のことを少しだけわかってきたのではないかという手触りと、
皆と過ごす予定で真っ黒なカレンダーを前に、背筋を伸ばした矢先、
それはやってきました。
眩暈がします。
それは座する椅子を引きずるような浮遊感で、
なんのことはないたわいもないフワフワが、
不安をかきたて、私にとってそれはとてもとても恐ろしいことなのです。
そして、パニック。
これは一種の精神症状だとのことです。
なぜこのタイミングなのか、がどうしてもわかりません。
もっと辛いときはたくさんあったはずなのに、
なぜその渦中の時ではなく、その嵐の過ぎたはずの今なのか?
ひとりであることを受け入れる準備ができたと自分を頼もしく思った、
少しだけわかってきた皆との関係の、その手触りをいとおしく思い、
そして皆と過ごす予定で真っ黒なカレンダーを前に、明るい未来を感じたのに、
何に対する心の声が、眩暈を呼んでいるのかがどうしてもわからない。
なぜだ私!なぜなんだ私よ!!
かねてよりお名前だけ伺っていた三重のBさんにようやくお会いする。
ベッチーの愛称のそのままに、モンゴメリの書く少女のような方ですた。
何か一緒に仕事が出来たらいいなあ、と思います。楽しそう。
いつからかひとりになって、
いつからかひとりであって、
ワサワサする落ち着かないこの気持ちを、
不安でちょっと怖いようなこれを、
淋しいというのだと知った。
ただいまとドアを開け、
お湯を沸かして紅茶を入れる
音楽を聴き、
本のページをめくり、
私がただ私と過ごす部屋
それって人生を抱きしめるってことよ、と誰かが言った。
少し不安が薄れて、
ワサワサした気分もぼんやりしてくると、
孤独も悪くないと思えるようになるよ。
今日は君にもらった自転車に乗って隣町のスーパーまで行く